協力:あおば社労士事務所、三条市労務管理協会

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障害年金サポートにかける想い ~障害者の権利を守る~

page_image_004私は、この社会保険労務士という仕事に出会うまで、いわゆる「障害のある方」について全く知りませんでした。「知らない」というより障害者の方々をきちんと「見ていなかった」というのが正しいと思います。

多くの人は、小学校、中学校、高校、大学、就職と順調に成長し、安定した生活を送っています。
そしてそれが当たり前と感じ、感謝の心を忘れたまま過ごしているのではないでしょうか。
私は30歳代までそのような気持ちで生活をし、障害のある方、社会的弱者を全く見ていませんでしたし、見ようともしていませんでした。

私たちは常に強者の立場にいると、それが当たり前に感じ、社会的弱者を思いやる気持ちを忘れてしまうのではないかと思います。

10年ほど前に社会保険労務士となり開業しました。開業して3年ほど経ったある日、障害年金についての初めてご相談を受けました。「障害年金を請求したいのだけれど、助けてほしい。病院のケースワーカーさんに2回申請してもらったのだけれど、2回とも不支給となってしまった。」とのこと。
正直な所、障害年金など試験で勉強した程度でよく知りませんでした。そして、障害年金は面倒で大変だ、手続き準備に長時間かかり、手続き料をもらえるのも1年後くらいになると聞かされていたので困ったなという思いでした。

しかし、依頼を受けたからには断る事ができません。近くの病院に入院中とのことで、病院でお話を聞いてみると、自分と同じ小学校の一つ下の方で、一緒に遊んだこともあるような男性でした。その方は、小学校、中学校、高校、就職と順風満帆に生活されていたそうです。ある日仕事場で倒れ、それからわずか5年間で自分一人では出歩くことができないほどになってしまわれたそうです。これも何かの御縁と思い受任することにしました。

退院後少し落ち着いてから、ご自宅にうかがいました。ご両親が亡くなられ、ご兄弟と一緒に暮らされているとのこと。 閑静な住宅街にある一軒家、近づいて行くと何か異様な雰囲気を感じます。伸び放題の雑草、夏なのに放置された、スノーダンプ、スコップ、長靴。割れた金魚鉢。

真っ暗な玄関に入ると、異様な悪臭。犬猫の糞尿のにおいが充満しています。玄関先から声をかけると、壁にぶつかる大きな音を幾度もさせながら、相談者の方が玄関まで来られました。ボロ布のようなブカブカの衣服を身に着け、肩まで伸びた髪の毛もゴミだらけ、悲惨な生活を容易に想像できました。

大変な所に来てしまったなぁと少し腰が引けました、玄関先で話を聞いて早々に退散しようかなどとよからぬ思いが一杯になっていました。しかし、相談者は立っているのも辛そうな表情です。私もプロですから、意を決し悪臭とゴミだらけの部屋に入り、床が抜けるのではと心配するほどジメジメし凹んだ畳に座りました。

体がうまく動かせずに、トイレに行くこともやっと、一週間に一度は、間に合わずにトイレの前で失禁してしまう。兄弟が帰ってくると怒鳴られるので、不自由な体で何時間もかけて掃除をするそうです。
食事は、兄弟が残した残飯があれば食べるし、なければ食べないという暮らしぶり。まるで獣のような生活、たとえ兄弟が一緒にいたとしても、「障害を持つ」ということはここまで人間を悲惨な状況にしてしまうのかと愕然としました。

これが、私の「障害のある方」との出会いとなりました。病院のカルテ開示、診断書のチェック修正、医師との面談などをできうる限りの支援をしました。その結果約半年後に障害年金を受給決定が届きました。

普段は外に出ることができない彼ですが、タクシーを使ってまで私の事務所に来てくれ、倒れそうになりながら立って、「先生、本当にありがとうございました。」と言ってくれました。

自分が障害年金の専門家、社会保険労務士になった理由はこれだったのかと気づかされました。これが自分のライフワーク、障害年金の専門家として障害者支援を行うことの出発点となりました。

そして、相談者の方のように、今までの人生がどんなに順風万帆であっても、障害が貧困を生み、家族の絆もズタズタにし、地域社会からも切り離され、人間らしく生きることをままならなくしてしまう可能性がある事を知りました。もし自分がそうなったら、その時には家族、地域の方々、お医者さん、ケースワーカーさん、そしてその中に一人に、障害年金をきちんと扱える社会保険労務士さんにそばに居て欲しいと思います。

そして、私はそのように思われるような社労士として、本当に私を必要としている障害者の方々のご支援をしてまいります。


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